スポーツとナショナリズム

静岡新聞:時評

今年はロンドンオリンピックが開催される。オリンピックやサッカーのW杯はメガイベントとして定義され、スポーツイベントの中でも別格の存在だ。そしてこうしたメガイベントでは国の代表として競つため、ナショナリズムを高揚させる要素もある。オリンピックの際におなじみなのが、国別メダル獲得ランキングである。大会期間中は連日このランキングが表示され、日本代表の活躍が大きな話題になる。しかし、国別メダル獲得のランキングは、諸外国ではあまり気にとまっていない。国としての対抗意識よりも、自分の応援している種目や選手の活躍に対して熱い注目が集まるのである。

日本人は諸外国と比べ、スポーツにおいてナショナリズムを強く反映させる国民性を有しているといえるであろう。従来多くの人が、外国に対する強いコンプレックスを抱え、日本という国、そして日本人であることに自信を持っていないのが現状であろう。それがスポーツになると、ナショナリズムを強く表現するのである。

選手の応援を最優先に

一度カンボジアのマラソン代表に選ばれたものの、国際陸上競技連盟の参加資格を満たしていないことにより五輪出場が消滅したタレント、猫ひろしの件に関する日本国内の反応はこうしたナショナリズムを反映した例だろつ。意見の多くが感情的になっている感が否めない。しかし、移民を多く受け入れている国家や新興国などでは、こうしたスポーツを通じた国籍変更はよくあることも現実だ。

これはナショナリズムよりもビジネスとしての側面が強く、国籍変更の見返りに報酬を与える国も存在する。またメガイベントは選手にとっての自分を売り込む市場でもあり、そこでの活躍は選手の栄誉と商品価値を高め、その後の収入につながる。こうした動きに対する批判は多く存在する。しかし、これはスポーツのビジネス化やグローバル化による影響である。スポーツによる国籍変更の多くも、選手が自身の活躍の場を求めた結果であり、実際はナショナリズムとは別の要因が影響を与えているのである。

スポーツはナショナリズムやビジネスなど、さまざまな要素が含んでいるのが現実である。しかし、そうした要因に目を向けるよりも、選手たちが繰り出す華麗な、そして究極のパフォーマンスを堪能し、疑似体験をし、そして応援することを最優先にしてほしい。そうすれば、もっと楽しく純粋にスポーツを見ることができるだろう。

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Published in column on 2012/05/11 at 22:10 by SCD