体罰と指導力

静岡新聞:時評

現在、スポーツ指導における体罰に対する多くの議論がなされているが、当然のことながら、体罰による指導は撲滅すべき問題である。だが、この間題に関する多くの議論は着眼点がずれているように感じる。例えば、競技性に対する言及や教員の配置転換などの対応策は、体罰の本質的な問題を見落としている印象を受ける。

体罰が起こる状況としては、指導者の望む結果に到達しない、あるいは選手の態度が好ましくないといったことが多いのではないだろうか。つまり指導者側にとって不都合な状況に陥った時である。だが、スポーツにおいて主役は常に選手であり、指導者は裏方である。

そして選手自身が望む目標および結果に達成することが最優先事項であり、そのために指導者はトレーニング計画を作成し、そしてコミュニケーション能力を駆使して選手にその意図や実施方法を理解させるのである。また、選手の心身の特徴および個性を理解することが指導に対する前提条件であり、選手を服従させるなどは、もっての外である。そのためさまざまな面で選手に対応する能力が求められ、指導者が選手に合わせてスタイルを変化させなければならない。

三つの能力向上させよ

もちろん指導に対する指導者独自のコンセプトが不可欠であるが、そのコンセプトを具体化する方法を選手に合わせて変化させることが必要である。つまり、トレーニングに対する豊富なアイディアを持うこと、多様なコミュニケーション方法、そして複数の成功へのプロセスを構築する能力が間われるのである。

このような状況を考慮すれば、指導者の能力を向上させることが体罰を防ぐ根本的な解決策の一つとなるはずだ。選手はそれぞれが個性を持ち、また常に変化していく。これは中・高生過程であればなおさらである。このような変化や個性に適切に対応する能力やトレーニング計画の立案能力、コミュニケーション能力は指導者として必須であり、この三つの能力の改善および向上を通じて指導の質を上げることが重要ではなかろうか。

そしてなにより、指導者は自身の名誉欲を優先せず、「主役は選手である」という意識を忘れてはならない。指導者が体罰に依存しない能力を身にうけることが最重要ではないだろうか。

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Published in column on 2013/01/25 at 23:00 by SCD